一条真也の老福論 終活読本『ソナエ』連載 第16回

グリーフケアの時代

今春から、上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任しました。わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題だと考えています。わが社でも早くからグリーフケア・サポートの重要性を説き、葬儀のご遺族の自助グループである「月あかりの会」を立ちあげてサポートさせていただいてきました。
グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切な人を亡くした人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
葬祭業界においても、グリーフケアの重要性は高まってゆく一方です。わたしは、葬祭スタッフがグリーフケアを実践することによって、日本人の自殺やうつ病患者の数を減らせるとさえ考えています。
わたしは、これまで多くのグリーフケアに関する本を書いてきましたが、代表作といえるのが2008年に上梓した『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)です。同書は多くの方々に読まれましたが、わたしはアメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をアレンジして、「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」という言葉を紹介しました。
この言葉に対し、上智大グリーフケア研究所の前所長である髙木慶子先生は、「親がどうとか、配偶者がどうとかは関係ありません。誰が亡くなっても悲しいものですよ」と言われました。
死別の悲しみには種類も差も存在しないというのです。ちなみにカトリックの特徴として、家族主義の否定があります。家族を超えた広い隣人愛を志向しているのです。
髙木先生は、自ら阪神・淡路大震災、JR西日本の脱線事故、そして東日本大震災で深い悲しみを背負った方々の心のケアに取り組まれてきた日本のグリーフケアの第一人者です。わたしは「誰が亡くなっても悲しい」という髙木先生の、カトリックの深い信仰心からのお言葉に深い感銘を受けました。
その一方で、「誰が亡くなっても悲しくない」という時代の訪れも感じます。直葬に代表される葬儀の簡略化が進んでいます。その流れの中で、年老いた親の死を隠す人が多くなっています。家族が亡くなっても縁者に知らせない、「愛」のない時代です。
髙木先生のお考えに賛同しながらも、多くの日本人にとって「誰が亡くなっても悲しくない」という時代が訪れつつあることも感じる自分がいました。
結局は「愛」の問題かもしれません。誰かが死んで悲しくないのは、その人への愛がないからだと思います。世の中には肉親の葬儀さえ行わない人もいますが、おそらく、そこには愛がないのでしょう。
本誌は「終活」の専門誌ですが、誰かが亡くなった後、葬儀やお墓や相続などの「かたち」の問題だけでは済みません。そこには必ず死別の悲しみという「こころ」の問題がついて回るのです。 わたしは、これからも、グリーフケアについて考え、実践し、その普及をめざしたいです。