シンとトニーのムーンサルトレター
鎌田東二ことTonyさんへ
Tonyさん、いま、どこにいますか?
わたしは、東京に来ています。梅雨で天候が優れず、夜空に月は見えません。見えないけれども、今夜の月は、これまでに見上げたどの満月よりも悲しい月です。なぜなら、もうTonyさんが地上におられないからです。ご帰幽に際し、心より哀悼の誠を捧げさせていただきます。これから、本当のお別れとなる百日祭の「かまたまつり」が開かれる9月まで、そちら側におられるTonyさんに届くことを信じて、わたしは「ムーンサルト1人レター」を書きます。返信はもちろん無理ですが、何かメッセージがあれば、夢でお伝え下さい。
わが魂の義兄弟であるTonyさんが旅立たれました。ステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍をされていましたが、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じられました。享年74でした。30日の夜、このムーンサルトレターの管理者である大野邦弘さんからの連絡でTonyさんの訃報に接したわたしは、翌朝、小倉から新幹線のぞみ20号で京都へ向かいました。サンレーのグリーフケア推進室の市原泰人室長も一緒でした。
JR京都駅のホームで
金沢から車が迎えに来ていました
JR京都駅に着いたら、ものすごい数の人に圧倒されました。インバウンドの外国人とともに全国各地からの修学旅行生も密集して、完全にカオスです。この日が土曜日ということもあったのでしょう。あまりの人の多さに、「これではタクシーも拾えない」と思いましたが、幸い、金沢からサンレー北陸の大谷賢博部長が社用車を運転して京都まで来てくれました。金沢から京都まで、3時間半かかったそうです。その車に乗って、京都市左京区の鎌田先生の御自宅へ!
Tonyさんのご自宅の前で
義兄弟とお別れをしました
京都駅から車を走らせること、約30分。わたしたちは、Tonyさんの御自宅に到着しました。奥様に挨拶して、ベッドに横たわっている故人を拝顔しました。そのお顔はまるで即身成仏のように穏やかでした。微笑んでいるようにも見えました。わたしは、深々と拝礼し、「お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかにお休みください」と言いました。Tonyさんの御長男の龍明さんと奥様とお嬢ちゃんにもお会いしました。Tonyさんにとっての初孫となるお嬢ちゃんは天使のように可愛く、前夜には旅立ったおじいちゃんのために木魚を叩いてあげたそうです。Tonyさんの穏やかな表情を見ながら、わたしは「ああ、Tonyさんの人生は幸せだったんだなあ」と思い、「見事な人生でございました!」とご遺体に語りかけました。すると、また泣けてきました。
『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)
「魂の義兄弟」は永遠です!
Tonyさんが横たわるベッド横のサイドテーブルの上には、死亡診断書と一緒に『古事記』の岩波文庫版が置かれていました。かなり読み込んだと思われる年季の入った文庫本で、おそらくTonyさんの座右の書だったのでしょう。それは棺に入れられる本だと思われました。わたしは、「ああ、Tonyさんは『古事記』と共に霊界に参入するのだ!」と思いました。2023年11月に、Tonyさんとわたしは『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)という対談本を上梓しました。2023年3月8日・9日に小倉の松柏園ホテルでわたしたちは対談しましたが、そのときの内容が本書に掲載されています。わたしたちの長年の親交を総括する一冊となりました。それにしても、Tonyさんほどスケールの大きな、また行動する学者はいませんでした。死の間際まで、災害社会支援士の育成に情熱を注いでおられました。本当に、偉大な実践思想家でした。Tonyさんの不在は、日本にとっても大きな損失です。もっともっと活躍して「明るい世直し」を推進していただきたかったのに、もっともっと語り合いたかったのに、島薗進先生と3人でカラオケに行く約束もしていたのに・・・・・・まことに残念です。
ムーンサルトレター第240信を祝う
ムーンサルトレター20周年を祝う
わたしは、4月に京都にお見舞いに行きましたが、5月に入ってから急に体力が低下したと、東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生からお聞きしました。それで、6月4日の横浜でのグリーフケア講演、5日の東京での前田日明氏との対談を終えたら、そのまま京都へ向かうつもりでしたが、間に合いませんでした。返す返すも残念です。Tonyさんには言い尽くせないほど、本当にお世話になりました。昨年他界した父の通夜・葬儀告別式。お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜りました。そればかりか、火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さいました。感謝の言葉もありませんでした。死後100日後に開かれる「かまたまつり」では葬儀委員長を務めさせていただきます。生涯をかけて「明るい世直し」を目指したTonyさんの志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。このムーンサルトレター20周年の書籍化である『満月交命~ムーンサルトレター』(現代書林)は結果的にTonyさんの遺作となりますが、わたしが責任をもって「かまたまつり」の日までには刊行いたします。本当に、こんな凄い思想家と20年以上も文通させていただいたことは、わが生涯の誇りであり、人生の宝です。
サンレー6月度総合朝礼で黙祷をしました
最後にわたしが追悼歌を披露しました
6月2日の午前8時45分から、わが社の小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼が行われました。一同礼の後、全員で社歌を斉唱しました。いつもは第一社歌「愛の輪」を1番だけ歌うのですが、この日は第二社歌「永遠からの贈り物」をフルバージョンで歌いました。この歌を作詞・作曲して下さった京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が5月30日に亡くなられたのです。「旅立つ日も感謝」という歌詞が心に沁みました。社歌斉唱の後、社員全員で黙祷を捧げました。鎌田先生はわが「魂の義兄弟」であり、わが社にとっても大きな恩のある方です。わたしたちは、全員でその帰幽を悼みました。最後に、わたしは万感の思いで「魂の兄の旅立ち 見送りて その志 継がんと誓ふ(庸軒)」という道歌を披露しました。
オープニング講演の最初に登壇しました
最初に、Tonyさんを追悼しました
6月4日、パシフィコ横浜で「第28回フューネラルビジネスフェア2025」が開かれました。わたしは、10時からオ―プニング講演をさせていただきました。講演タイトルは「サンレーの『悲縁』をつなぐグリーフケアの取組み」です。おかげさまで、会場は超満員になりました冒頭、進行役による本講座開設の趣旨と登壇者紹介があり、まずはわたしが登壇しました。わたしは、「今日は朝早くから、ご来場ありがとうございます。今日はグリーフケアについてのお話です。わたしは約20年前からグリーフケアに取り組んできましたが、そのときわたしは祖父母を除いて家族との死別の経験がありませんでした。しかし、昨年9月20日に父を亡くし、つい6日前の5月30日には『魂の義兄弟』であった鎌田東二先生を喪いました。大きなグリーフを抱いたまま、この場に立たせていただいています。しかし、明日は格闘王の前田日明さんと対談することになっていますので、気持ちを奮い立たせたいと思います」と言いました。
歩道橋の上で前田日明氏とファイティング・ポーズ
Tonyさんの訃報に驚く前田日明氏
翌6月5日、「永遠の格闘王」こと前田日明氏にお会いし、対談をする機会に恵まれました。場所は、東京都中央区京橋にある鎌倉新書の本社です。同社が発行する雑誌「月刊終活」の特別対談ということで、この夢のような企画が実現しました。対談のテーマは「死生観」と「終活」と「儀式」でした。最初に、死生観についての質問があり、わたしは「先月30日に、宗教哲学者の鎌田東二先生がお亡くなりになられたのですが、その遺作のタイトルが『日本人の死生観』でした。鎌田先生ご自身も、ステージ4のがん患者でありながら、積極的に活動され、その間際まで災害社会支援士の育成に取り組まれていました。素晴らしい死生観をお持ちでした」と述べました。すると前田さんが「えっ! 東二さん、亡くなられたんですか!」と驚かれたので、こちらも驚きました。聞くと、バブルの頃に鎌田先生と前田さんは対談し、貴船神社などを一緒に参拝されたそうです。不思議なご縁に感じ入るとともに、このたびの前田さんとの出会いは鎌田先生の導きだったように思えてきました。やはり、この世は有縁社会ですね! それでは、Tonyさん、今回はこのへんで。また、次の満月まで!
2025年6月11日 一条真也拝